10.20.2012

feel like saying “THANX” tonight

ほっと一息 with ほっとこーふぃーでございます。

涼しくなってきた今日この頃。
そんなこれからの季節、
朝晩はほっとこーふぃーが心をくすぶる。
よくお似合いでございます。

この前のやつ。
この世のクソfuckな経済システムってやつ。
その続きを書こうと思いましたが、
次回か、その次か、くらいにしようと思います。
だってさ、めんどくさいじゃん?


この涼しさが心地よい時間を運ぶと同時に、
マクロ的に言えば新島Life、
ミクロ的に言えばsaro Life、
僕のそれに、終わりを告げているようにも思う。
僕にとってはどこか切ない涼しさ、心地よさでもあるのだ。

僕は正直な所、今シーズンのsaroの最も長期的滞在者、
もっと言えば、最も長期滞在したお客だと思っている。
少しおかしな感じではあるが、それには理由がある。
というのも、来る人来る人が楽しい時間を過ごし、
おいしいごはんを食べ、リラックスし、
時には美しい夕焼けに包まれ、夜になれば美しい星空に抱かれ、床に着く。
そして帰る時には、また来たい、
いや、戻ってきたい、そういう想いを胸に、saroを、新島をあとにする。
そのような人々をたくさん見てきた。
しかし、それを一番味わうことができたのはこの僕ではないかと思うからだ。
強く強く、また戻ってきたい、そう思うからだ。

まぁ働いている?側としては、そういう時間や気持ちのほんの少しの一部でいいから、
そのわずかな部分でいいから、僕がそのお手伝いができていたら嬉しく思う。

こんな働いてんのか楽しみにきてるのかよくわかんない僕だけど、
こんな僕でいさせてくれる高野さん、Kちゃん、本当に感謝しています。
たぶんこれを見ながら笑ってんだろうけど。。
いいんですそれで。
一緒に働く人間として、同じ働く側の人達にも何かを提供できたなら、
それがしょーもないクソみたいな笑いでしかなくても、
何もできないよりはずっといいから。
むしろ、それ以外はできないかもしれないから。
僕と楽しく働いて頂くことができたのであれば、実は、僕は一番嬉しいかもしれない。
僕も楽しく働かせて頂いたのだから。
楽しみながら働く、それが僕の働くということの理想のカタチ。
そのカタチを共有させて頂いたのだから。

もし、そうであれば、僕としては本当に嬉しいことだ。

本当にココでは素敵な出会いがあった。
素敵な時間があった。
そんな素晴らしい物でも事でもない、
何て言ったらいいのかわかんないけど、
モノ、コトをくれた高野さん、Kちゃん、saro。
そのキッカケをくれたUichiro。
感謝しています。


と、まぁ、もう少し時間はあるわけだが、
なんかエンディングっぽい、
そんなことを想いながら最近は過ごしています。
そして本当に終わりを迎えた時には、こんなデジタルな文面ではなく、
改めて、感謝の言葉をそっと、ケツの穴からでさえこぼれるくらいのバイブスで言わせて頂こうと思う。

そうそう、まだ終わっちゃねーぜ。
しっかり?頑張ろう。
明日もふかしながら。

9.27.2012

what's freedom meaning?

風の噂で聞いたのだが、このバイス(swedishでうんこの意)なブログの
ファンらしきピーポーがどうやらいるらしい。

数人。
Yes!!!!
fuckin' minority people!!!!!!!

なんや?バカにしてんのか?

で、新島LIFEももうすぐ4ヶ月。
あ〜あ〜川の流れのように〜♪
的な感じで時の流れは超speedyです。
まぁ、次に続く歌詞は “ゆるやかに” なんですけどね。

そんなこんなで石油経済fuckin'バビロンシステムの産物。



“キン”ではなく“カネ”

まざふぁか!!!!

それをあやつるヤツ等は、“金メダル”をひっさげ、
善良な人々を働く為に生かし、生きる為に働くと、
そう錯覚させることに成功した。
どれだけの人が働く為に生きているのか。
どれだけの人が生きる為に働いているのか。
どれだけの嘘が、どれだけの矛盾がこの世にあるのだろう。

自由の反意語は、金だと俺は思う。
みんな自由になりたいだろう。
金があれば好きなように、自由にできる。
はい、でた!きたよ!
錯覚!AGAIN!
うわぁ〜まざふぁかーーー!!!
確かに金があれば好きなことをできて、
好きなものを買えて、人の為にだって何かできてって…
超最高。
自由に何かをしたい、自由に何かをするって、
そうなると確かに金は必要だけど、
そのためのツールでしかなく、
その根源にはやっぱそのヒトのそうするココロがあるわけで。
金があれば自由なのではなくて、
その自由な心があれば自由なわけで。
金はツールでしかなく、
つまり必要でない分は、(必要でない分なんて今の俺にはないけど)
ただの紙きれとただのコイン。(それ、欲しいッス)
心がルーツだってこと。
金は必要ツールで心が重要ルーツ。
というわけで、“金必心要”という四字熟語を、
今、ココに、勝手に、作成します。
広辞苑に載っちまえくそったれが。

金にとらわれちゃうと、自由に何でもする、自由に何でも買う、
という心があってこそ、そういうことができるのに、
金のおかげで自由に何でもできる、自由に買える、
はいまたきたよ!
その錯覚マザファカッ!
が生まれる。
お金のおかげではなく、僕の、貴方の、その心のおかげなんでス。
そのおかげさま錯覚により、
心を忘れてしまう。
自分自身の心、そのルーツを忘れる、考えなくなる、
それが一番の不自由。
やっぱ自由の反対は不自由だね。(そのほうがわかりやすくていいね)
でも本当に、ヤツ等が作り上げたこのシステムの中で、
まんまと金にとらわれて、自分自身を考えること忘れてしまったら、
不自由だと俺は思う。
全ては自分から始まるから。
自分自身の事なんてぶっとんじゃうくらい楽しければ、それは自由だ。


でもこの世は、NO PAIN NO GAIN。

苦労なくして得るものなし。
楽することと楽しむことは違う。
肝に銘じておこう。


てゆー当たり前な話?をクソしながら考えてみたわけだが。
だから俺は人よりクソする時間が長いのか。
次待ってる人に申し訳ない。スマン。

てゆーか、自由に何かするとかしないとか、
自由に何か買うとか買わないとか、
なんやそれ!

なんやソレなんやソレ!


自由ってナニ?

なんやソレ!

ボケ!


                        
                                続く

6.26.2012

World Peace



saro NIIJIMA TOKYO JAPAN

今、
そこに、

今、
ここに、

僕はいます。


それは突然やってきたのだ。

下北沢 to 新島

Uichiroと同じ屋根の下で、同じ釜の飯を食べていた。
しかし今は、TAKANOさん、KEIちゃんと同じ屋根の下で、同じ釜の飯を食べている。
そして、新島のO釜から口説かれたのだ。

それは突然やってきたのだ!

男 to 釜

それは突然にも、後にも先にも、nothing。
No Change, No Reborn。
だけど、僕はNo Racist。
Rainbowな人達の“感性”にはすごい興味がある。
虹。7色。
7色の感性、いや、それ以上の感性があるのだと思う。


虹を見て、7色に見えますか?と言われれば、
はい即答、見えねーよボケ!
だってグラデーションじゃん。
色が徐々に変化していってる、
その徐々に変化していってる部分、
薄くて消えそうだけども消えずに色を持ってる部分、
とかそーゆー部分!
その辺も含めた全てで構成されたあの色を、
あの自然の芸術か知らないけどあの自然の芸術を、
その虹を、あの虹を、
たった7色なんてふざけんじゃねーよボケ!
と思ったあなたの“感性”にもすごい興味があります。

つまり、誰にでも興味があるのだ。

十人十色とはよく言ったものだ。


言ったやつだれ?


本当にソレゾレがソレゾレで、
ソレゾレがひとりひとりで、
ひとりひとりが全てで、
その全てがひとつで。


みんなこの時代、この時、この一瞬、
過去、現在、未来に組み込まれて行く。
今を生きてるから。


やるなら今しかねぇ!!!


何を?


で、まぁとりあえず僕らは、
We Are The World
We Are The Children
だから、
家族を幸せに、仲間を幸せに、
ソレゾレがソレゾレそうすることで、
ひとりひとりが、
全てが、
幸せになる。
幸せひとつ。


それって世界平和。
俺的にね。


実際、世界平和なんてわけわかんないけど、
わけわかんなくて複雑なことほど、
シンプルに考えてみるのもいいのかな、
なんて思っちゃう。
めんどくせーから。
だって、“辛” に “ー” ひとつ加えれば “幸”
たったひとつ。
本当、シンプル。

生きてくって素晴らしく難しい。
難しく考えてしまうから。


でも、
ここ新島には、
シンプルな何かが、
大切な何かが、
そっと、
そこに、
ある気がします。





やかましいわ!


ってね。

5.10.2012

時代は繰り返しますね、高城さん。

東京4日目。
天晴れ快便。


快便で、ウンコ座り aka ヤンキー座りのできない俺にとって、
和式便所というものは実に厄介であるわけだ。
さらに、熊本で何不自由の無い、利便性に満ちあふれた、
いわゆる当たり前で、いわゆる当然な生活をしていた俺が住んでいるのは、
マイメンゆーいちろーんちであり、それは極端に言えば、
室内でありながらキャンプをする、
といったような場所なのだ。
しかしキャンプという意識は俺にはもうない。
これが、ここでのいわゆる当たり前で、いわゆる当然な生活なのだから。
海外で過ごした日々を思い出させてくれるような、
不便でありながら便利で、
温もりがないようで温もりのある、
何故か心地よさを感じる生活。


熊本の実家に在る、そこら中のどこにでも存在する、
当たり前で当然な何か、利便性のある何か、
その何かは、ここにはない。


その何かがあった生活から、その何かのない生活にシフトして、
もう馴染みつつある僕は、何なんだろう?
東京でそんな場所に自ら身を置いている彼は何なんでしょう?


だけど確かな事もあって、
もし俺が自分で部屋を見つけて住むのであれば、
部屋にひとつのウンコ座りをしないでよいトイレ、
部屋にひとつのキッチンと呼べるキッチン、
部屋にひとつの温水の出る蛇口、
部屋にひとつのシャワールーム、
そんなものがある部屋に住むということ。


すごく矛盾しているようであるけれど。


でもここが心地よく感じるのは、過去の経験があるからではないだろうか。
そんなものを心地よく感じる経験があったからではないだろうか。
そしてそんな俺なりの確かな事がありながら、ここに住めるのには理由がある。

熊本の実家に在る、そこら中のどこにでも存在する、
当たり前で当然な何か、利便性のある何か、
その何かは、ここにはない、と言ったが、
だけど、そこら中のどこにでも存在する神秘は、
ここにもあるからなのだ。

別に部屋がどうこう言いたいわけではない。
当たり前なんて、全て当たり前のようだし、
当たり前なんて、全て当たり前じゃないようだし、
当たり前のように。
そう、ように。
みんなlikeで生きてるんだよたぶん。
俺も。
でもこのlikeがけっこう危ないってゆーか。
このlikeから解放されて、likeへ。
もうlikeでもloveでもhateでもなんでもいいよ。
fuckin awesomeでfuck youってみんなに言えるような解放が必要なんだな。
like Jason Dill。
このlikeはいいんだよまざふぁか。
とりあえずExodus!!!!!!!!!!
物理的にでも精神的にでもいい。

自分なりのExodus!!!!!!!!!!!!

自分からのExodus!!!!!!!!!!!!
これも時に必要なことかも。

Movement of Jah people!!!!!!!!!!
Movement of Japanese people!!!!!!!!

と、わけわかんないこと言うだけ言って、
難しく考えてしまい、わけわかんなくなるので、
僕は僕なりにいこうと思います。


FUCK U

3.07.2012

doesn't mean aNYthing

よし。


一息ついて考えてみよう。


今ここに、俺はいる。
そしてこれから先、どこかに俺はいるだろう。
そう、確かな未来はそこに在るってことだ。


もう一息ついて考えてみる。


俺は男だ。
たくさんの愛すべきバカ野郎共とずっと繋がっていたい。
その中でもスペシャルな愛すべきバカ共とDOPEな時間を共にしたい。
たくさんの心の美しい女性に囲まれていたい。
その中でもスペシャルな一人の女性と共に幸せな時間を築いていきたい。


でも意味はない。
スペシャルだけど意味はないぜ。


スペシャルなんだから。


それがいいんだ俺は。












doesn't mean anything


all in love is fair




らしいからね。


それだよね。




aNYway,  にゅーよーくにまた行きたい。


意味はない。


でも愛はあるよ。




MOTHA FUCKA!!!!!!!!!!!!!!!!!

2.04.2012

feel like a ...

久しぶりに気持ちを綴っておこう。




今僕は、自分の中にある感情や情熱、感性という自分が一番大事にしてきたものを失くしつつあるのではないだろうか、という葛藤の真っ只中にいる。


僕が生んだ感情や言葉たちは、いったいどこへ行ってしまったのだろう。


そのものたちを追いかけ探してみても、見つけることはできなかった。
でもそれは至極当然で、仕方のないことなのかもしれない。
それらは刹那的であるし、アリゾナの大地に突っ立つメサのように、
ゆっくりと浸食され、ゆっくりと風化し、あたかも“自然”に消えていくようなものなのかもしれないのだから。
しかし僕は、たとえ消え去りそうでも、たとえ消え行くものだとしても、
その一瞬一瞬を生きている、そういった感情的かつ情熱的で、感性の逆鱗に触れるようなものを愛しているのだ。
それは人が生み出すのだ。
僕が生きていれば、世界は生きているのだ。
僕が生きてさえいれば、愛せるのだ。
愛し続けることができるのだ。
生きるのだ!
生き続けるのだ!










あらゆる感情という感情を抱き、
ここに生を踏みしめる。