9.26.2010

言葉は心 心は言葉

俺とGO-Gさんは同じ日にファームをやめたんだけど、
そのやめた週の週末、送別会というか、最後はみんなで飲もう!
てことになって。
みんなでいい夜を過ごした。


Farm“GRIMA”のリーダー兼アニキJulien


帰ってきたRobin!! 


ええ一枚デス








つたない英語だから、言いたいことは全部言えなかったけど。
完全に言葉が通じなくても、それでも伝わるもんはある。
お互い心をもった人間だしね。
ありがとうってことが伝わってれば、それだけでいいや。
まじでみんなに、Thank youじゃなくて、ありがとうって言いたい。
そして、彼らにありがとうの温もりを感じることができたら、
日本人としては幸せなことだろうな
と俺は思う。

で、そんな温もりある日本語を少し話せる彼ら。
例えば、

オハヨー
アリガト
マタネ
ウンコ
メッチャウンコシタイ
クソクラエ
ケツニキスシロ
メス◯タ
シャ◯レ
メッチャブリブリ
オマエメッチャイカクサイ
オマエノ◯◯コ◯カ◯クサイ


などなど、ハーコーな日本語まで知ってる。
みんなじゃないけど。
誰が教えたのか、意味を知ってるのか、それは追求しませんでした。
知ってるが故に。

まぁでも、ダーティーな言葉は誰でもすぐに覚えるのは世界共通のようです。
それはそれでいいと俺は思う。
使い方さえ間違わなければ、べつに知ってて悪い言葉なんてない。
どんな言葉も、その言葉として存在してるのには意味があるからだと思うし、
事実として、その言葉は、その言葉の意味がある。
そもそも、言葉に限らず、“何かを知る”ということはとても重要なこと。
俺もSydneyで学校行ってたとき、ある女の先生が教えてくれました。
世間的に良い言葉とされない“FUCK”という言葉は、ナチュラルイングリッシュだと。
世間的に良いとされない、それなのに使わないやつの方がレアだよって。
でも、ある別の先生はそんな言葉は教えなくてもいいと言った。
でもでも、その先生は私たちが教えるのはナチュラルイングリッシュだと。
実際それがその学校のコンセプトでもあった。
どんな言葉であれ大多数の人がよく使う言葉をナチュラルと定義したその先生、
ナチュラルです。
男はほとんど使うし、お前も男だし、別にいいんじゃない?
そんな感じだった。
“男言葉”ってたぶんどの言語にもあるもんだし、
もしないとしても、良くないなんて思うのはそいつの意識の問題であって、
そう思わないやつもいる。
それぞれでいい。
使いたいやつは使えばいいし、使いたくなければ使わなければいい。
そこは自由。
正に言論の自由。
俺も知ってるだけで、それを使うか使わないかは俺の自由。
まぁfuckin多用してますけどねー
もうこんな感じでくそひどく多用してます。
だって言葉なんて知ってるだけじゃ意味ない。
言葉に意味があるのに、知ってるだけで使わないなんて意味ない。
使って初めてその言葉がその言葉の意味を意味するわけだから。

生きてる人間は言葉を媒介して言葉を意味する
言葉は生きてる人間を媒介して言葉を生味する

言葉も生きてんだな

と今思ったよ。
そしてこれ、完全に名言なんじゃないスか


言葉に汚い、綺麗、たしかにないとは言えないかもだけど、
そんなことより、その言葉がそいつに合ってるか合ってないか、
俺はそこを意識してる。
そいつに合ってれば、それでいいんじゃない。
だって合ってんだもん。
言葉も生きてるから、気の合うやつと一緒に生きた方がいいよ。

そーそーそれにその先生、授業中じゃなくてビーチに遊び行って、
一緒に飲んでるときにそう言ったからね。
一応というか、ちゃんと先生としての配慮だと俺は思う。
あの学校のあのゆるい雰囲気で、
先生 対 生徒とかそんな関係fuckだけど、一応、先生だから。
でもあれは人間 対 人間だった。
俺はそういうノリの先生の方が好きだった。
そういう人間が好き。
素直で、正直で、

ゆるくて。

しめるとこしめればいいんじゃない。


人間だからね

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